Mercedes Benz SS  1929y
更新日   

  2011/10/21

車 名   

  Mercedes Benz SS 1929y

カテゴリー   

  ドイツ Germany

販売価格   

  Sold Out

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メルセデス・ベンツSSは1928年に完成した高性買戟[シング・マシンで、その基本は1926年に当時ダイムラー・ベンツ社の主任設計家の地位にあったフェルディナンド・ポルシェが設計したKヴァーゲンにまで遡る。Kヴァーゲンは直列6気筒SOHCで排気量6246ccにクランクシャフトから直接駆動される機械式のルーツ・タイプスーパーチャージャーを装備し、スロットル・ペダルを通常のフル・スロットル状態から、スプリングに抗してさらに一段踏み込むことにより、スーパーチャージャーのクラッチが作動してエンジンを過給、出力を自然吸気状態の110HP/2800rpmから160HP/3000rpmへと高めた。ホイールベース3400mm、シャシー重量1500kgの大型車だったが、スーパーチャージャー作動時は最高速度150km/hが可狽ネ、当時としてもトップ・クラスのツーリングカーだった。ドイツでは課税馬力/自然吸気時の馬力/過給時の馬力を数字で示す習慣があり、Kヴァーゲンは24/110/160 Kと侮ヲされる。このKヴァーゲン(KはKomplessor=過給機を意味するドイツ語のイニシャル)の性狽ウらに向上させ、エンジンの排気量を6789ccに拡大、圧縮比を上げてスーパーチャージヤーも大型化するなどのチューニングを施し、エンジン出力を自然吸気時で120hp/2800rpm、過給時で180hp/3000rpmとしたモデルが1927年に造られた26/120/180 Sである。Sのエンジンのシリンダーヘッドやオイル・パンはエンジン・ブロックとは別体となっているが、全ての接合面はガスケットなどを使うことなく組み立てられている。それだけ高い工作精度が保たれていることの証でもあった。シャシーの各ディメンションはKモデルと同じでシャシー重量は1300kgに軽量化されていた。性狽ヘさらに向上し、スーパーチャージャー作動時の最高速度は165km/hに達した。サスペンションは前後とも縦置き半楕円リーフ・スプリングで吊った固定軸(リジッド・アクスル)となっており、巨大な擦動式ショック・アブメ[バー(フリクション・ダンパー)が装備されていた。1927年から1928年までに155台が造られたという。その殆どにはジンデルフィンゲン製のオープン・ツアラーのボディが架装された。
 この26/120/180 Sの直列6気筒SOHCエンジンをさらに拡大して排気量を7050ccとし、140/200hp/3200〜3300rpmとした高性晩デルが1928年に登場した27/140/200 SSである。車名のSSはSuper Sportのイニシャルで、当時世界最高級の高性買cーリングカーとなった。シャシー重量は1270kgとSモデルよりもさらに軽量化され、最高速度は過給時で185km/hが保障されていた。メーカーからはエンジン付きシャシーの状態で販売され、それを購入したオーナーは市中に数多く存在していたカロッツェリアに持ち込み、自分が好むスタイルのボディを架装するのが普通だった。主なカロッツェリアとしては、ドイツのジンデルフィンゲン(Sindelfingen)、イタリアのカスターニャ(Castagna)、フランスのメ[チック(Saoutchik)、英フリーストン&ウェッブ( Freestone & Webb)など。価格は1934年当時でエンジン付きシャシーのみで31000マルクを超えたと言われている。ちなみに、同じ時期のメルセデス・ベンツのベイシック・モデルであった170(排気量1692ccの直列6気筒SVエンジン装備)は4ドア・ボディ込みで4400マルクであった。27/140/200 SSは、レーシング・フィールドでも大活躍を見せ、メルセデス・ベンツのモータースポーツに於ける黄金時代の一翼を担うことになる。27/140/200  SSのレーシング仕様車が初めてレースに出場したのは、1928年7月にニュルブルクリングで開催されたドイツGPで、後にメルセデス・チームのエース・ドライバーとなるルドルフ・カラチオラ、クリスチャン・ヴェルナー組とオットー・メルツが2台のSSで出場、1位、2位を独占するデビュー・ウィンを成し遂げる。ちなみに、2位になったSSのドライバー、オットー・メルツは、1914年6月28日にボスニアの首都であったサラエヴォでオーストラリア皇太子であったフランツ・フェルディナンドが暗殺された事件(第一次世界大戦の直接の契機となった)の時、フェルディナンドが乗るクルマのショーファーだった。27/140/200 SSの生産台数は1928年から1935年までの8年間でレーシング仕様も含めて102台であったという。